日々のアレコレ

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*以下のタイトルの記事は、このページに掲載してます。

'04/06/08 カミサマが微笑む日
'04/03/17 千の風
'04/02/28 「地域猫」プラン
'04/01/31 小さな働き手
'03/12/28 クシャ
'03/11/10 『ねこの恋』
'03/10/24 笑メール
'03/10/11 『ノラの日記』
'03/09/05 店長
'03/08/10 ひとりしりとり?
'03/07/27 幸せ探し
'03/07/10 車内メール
'03/06/18 谷中ネコもの巡り
'03/06/04 ごほうび−その2
'03/05/29 ごほうび
'03/05/14 あのこは何処へ
'03/04/29 パンダやってみました
'03/04/03 職場としての軍隊
'03/03/23 花を愛でる日々を
'03/03/20 数で扱われること
'03/03/11 苔のむすまで
'03/03/06 今年の花粉症対策
'03/02/24 海外はもう圏外ではない?
'03/02/18 2本立て1000円
'03/02/12 やっと撮れた
'03/02/07 春に向けて戦闘準備はいかに?
'03/02/03 顔なじみ
'03/01/27 カミのワナ
'03/01/19 迷宮の中から
'03/01/18 ほうれん草の根っこ
'03/01/12 ピンクの似合う年頃
'03/01/05 春に向かって



カミサマが微笑む日

いつもなら新宿まで電車1本で行けるのに、池袋駅の工事のために、赤羽から先が終日運休。それに雨模様。億劫な気分を引きずりつつ、別の経路から電車を乗り継いで出かける。

乗り継ぎ客で混んでいるだろうと思った電車は、意外と空いていた。
ドアに寄りかかって本を読んでて、ふと窓の外を見る。あ、紫陽花。色とりどりの紫陽花が線路沿いにずっと続いている。王子の飛鳥山公園のところに、かなり長い花の道。ここには桜のときに何度か来ているが、紫陽花のことは知らなかった。何だか嬉しくなる。

紫陽花の道が途切れ、しばらく行ったところで、アカメガシワの花が咲き出しているのも見つけた。もう本なんか読んでいられない。いつもとは違う景色を楽しむことにする。

帰りも車窓からの紫陽花を楽しみにしていたが、往きとは違ってかなりの混み具合。とても窓からの眺めを楽しむ余裕はない。その代わりに、社内での会話を楽しませてもらった。

途中から乗ってきた年配の女性。
「ごめんなさいよ。ちょっとつかまらせて」
と歯切れの良い口調で声をかけ、手を伸ばして手すりにつかまる。そして、そばの人に話しかける。受けて側の女性は、おっとりした口調でそれに応える。天気のこととか、どこまで行くのかとか、着ている服の色合いがいいとか、だいぶテンポの違う初対面らしい二人の会話が、混雑した車内を和ませている。乗り換え駅に着いて、先に降りるのが残念に思うくらいだった。

やらねばならないことが山積で、やりたいことのいくつかを諦めた、いつもと同じような日曜日。でも、心和む時間もあって、用事も思いのほかはかどって、気がかりだった友人が少し元気になってきた様子も見えて、「カミサマが微笑んでくれた」、そんな感じのする日だった。

そういう日が、たまにある。 もちろん、アクマが大笑いするような、次々と思うように行かないことばかりの日もあるけれど。


('04/06/08) ページトップへ


千の風

ほんの数分の時間つぶしに入った本屋で、『1000の風―あとに残された人へ』という、短い詩に写真がついた本を見つけた。それと、新井満氏が、同じ詩の日本語訳とエッセイを書いている『千の風になって』という本も、側に積まれていた。

  「私のお墓の前で  泣かないでください  そこに私はいません」

というフレーズに心ひかれるものを感じ、とりあえず書名をメモした。元は作者不明の英語詩らしい。去年の夏、朝日新聞の「天声人語」にも取り上げられたとか。私は知らなかったが、かなり話題になっている詩のようだ。

私にも、近しい人を亡くした経験が何度かある。そのたびに、自分の体の一部を無くしてしまったような気持ちになる。 そして、手足を無くしても、まるで今でもあるような感じがする、という話を聞くけど、それと同じで、亡くなったという実感がない。

書かれている言葉や添えられている写真など、いかにもという気もするが、「亡くしても亡くなっていない…」 そんな気持ちには、しっくりくる詩だと思った。

それにしても、理不尽に命を奪われた人たちのことが、毎日のように報道される。単なる数として。まるで何万も何億もの風が吹きすさぶようだ。


('04/03/17) ページトップへ


「地域猫」プラン

今日、ひょんなことから東京都が2001年から取り組んできた「飼い主のいない猫との共生モデルプラン」事業のことを知った。
野良猫の増加や糞尿・鳴き声などへの対策事業だが、野良猫を単に排除するのではなく、地域の中で、人と猫との共生を目指す取り組みのようだ。

500戸程度のエリアを単位にして、その中の猫を管理する。野良猫はいったん捕獲、不妊去勢手術を施して、また地域に戻す。エサをやる場所やトイレなどについても、周囲に悪影響を及ぼさないように考慮する。そうした「地域猫」の取り組みのモデルプラン地域として、この3年間で10ヶ所が東京都から認定を受けている。その中に、以前住んでいた狛江市も入っているのを知って、ちょっと嬉しくなった。

近所の公園にいる猫。顔なじみになったかと思うと、姿が見えなくなり、いつの間にか顔ぶれがすっかり変わっている。それは全く人間の身勝手さによるものだ。「地域猫」の取り組みだって、人間の都合からきているものだけど、あの公園の猫たちのことを思えば、何とか継続して広がっていってほしいと思う。


('04/02/28) ページトップへ


小さな働き手

「ほうっ」
客たちは、一斉に息をついた。

江ノ島の茶店でのこと。4〜5歳ぐらいだろうか。その女の子は、テラスのテーブルに行き、空いた皿や小鉢、コップ類をお盆に積み上げた。積み上げた様子は、今にも崩れそうに見える。そして、お盆をお腹にくっつけて持つと、店の中に向かって歩きだした。お盆は、自分の体のほうに少し傾けている。

テラスと店内との間は結構な段差があって、行き来するための板が渡してある。普通に歩いても危なっかしそうなのに、食器を積み上げたお盆を持ったまま、女の子は1歩1歩確かめるように足を運ぶ。その様子を、息を止めて見守る客たち。

ようやく板を渡り終えたところで、客からは一斉にため息がもれた。拍手も出そうな雰囲気だった。

女の子は、レジのところにいた母親のところに、お盆を持って行った。そこで、母親は「ありがとう」とか言って、にっこりとお盆を受け取る…と思った。しかし、そうではなかった。母親は、ちょっと厳しい顔で、調理場のほうを指差し、何か言った。女の子は、そのままお盆を持って奥に消えた。

すごいなと思った。私なら、女の子がお盆を持ってきたところで受け取っていただろう。だが、その母親は一切、手を出さなかった。

その店では、他に小学4年生ぐらいの男の子も働いていて、注文を取ったり、料理や飲み物を運んだり、それは見事な働きぶりを見せていた。彼も、その女の子と同じように、店の仕事を仕込まれてきたのだろう。

ふと、昨年暮れに聞いた話を思い出した。何社かの社長や重役を兼任している女性の講演で、仕事と家庭をいかに両立させてきたかという話が出てきた。夫を家事に参加させるコツは、「ほめ殺し」とか。彼女ほどの人でも、女性が人並み以上の仕事をしていくのは簡単ではないということの表れとは思うが、「夫をうまく操縦してます」といったレベルの話は、ちょっと残念に思った。


('04/01/31) ページトップへ


クシャ

駅のホームでのこと。歩いていく先のほうに、若い男女が向き合っているのが目に入った。棒立ち。ふたりの立ち姿は、その場に打ち込まれた杭のようだ。何か張りつめたものが、こちらにも伝わってくる。

私が歩いていく方向からは、女性の顔しか見えない。たぶん17〜8の少女。見開いた目からは、いまにも涙が溢れそうだ。ちょっと突付けばパンとはじけてしまいそうなのを、強い意志でこらえているように見える。化粧気の無い顔。笑顔は、きっと花のようだろうに。

この子にこんな表情をさせるのは、どんなヤツだろう。ふたりの側を通り過ぎて少し行ってから、振り返ってみた。白い、端正な顔立ち。と次の瞬間、クシャッという感じに、男の顔が崩れた。ポロポロと涙が落ちた。

ずるい、と思った。でも何だか安心もした。


('03/12/28) ページトップへ


『ねこの恋』

『ねこの恋』何も本を持たずに出てしまったことに気づき、あわてて駅近くの古本屋に寄った。ぱっと見て、表紙の猫の絵にひかれ、この本を買った。

『ねこの恋』 大石静著
(講談社 ISBN4-06-209338-3 C0095)

タイトルから、猫にまつわる話と思ったが、中身はかなり違った。著者の心に残った一言から発想したエッセイ集。『ねこの恋』は、「生きとし生けるもののぬくもり」という意味でもあるとか。著者は脚本家だけに、拾い上げているのは芸能関係の人のセリフが多いが、日常の中で出会った人の話も入っている。

例えば、
「人間と犬猫のどこがちがうんや?」
「末代まで迷惑をかけるような恋はしたらあかんのです」
「私は、悲しいときに泣けなくなったら、医者をやめるべきだと思っています」
「しあわせは持続しないからこそ、しあわせなんです」

どの話も、テンポのいい筆致で書かれていて、その一言が意味する情景が浮かんでくる。読んでいて、向田邦子を思い出した。よく分からないが、同じ脚本家ということで、書き方に何か共通するものがあるのかもしれない。

そうした話の中に、「婚外の恋」という言葉が出てくる。筆者は、「不倫」という言葉が大嫌い。恋は恋。倫(みち)にかなうも適わないもないのだから、「不倫」という言葉は使いたくないという。それで、文章を書くときには、意識的に「婚外恋愛」あるいは「婚外の恋」を使うとのこと。ただ、あまり風情のある言葉ではないと残念がる。

「不倫」という言葉が一般化したのは、いつごろからだろう。私もこの言葉が嫌いだ。人を好きになるというのは、とても個人的なことだと思う。それに、そのときどきで思いは深くなったり、揺らいだり、人を思う気持ちは定まらない。それを、一つの言葉でくくられるのはたまらない。

どうしてもくくる必要があるときは、私も「婚外の恋」を使いたい。「婚外恋愛」という4字熟語は、ちょっと味気ない。間にひらがなが入ったほうが、何となく好き、単にそういう理由だけど。

色恋とはほとんど無縁にこの年まで生きてきてしまった私でも、おとな同士の恋愛についてちょっと薀蓄を傾けてみたい、そんな気分にさせる本だった。


('03/11/10) ページトップへ


笑メール

最近、職場で週初めに朝礼をやるようになった。事実上のフレックスタイム制の職場にしては画期的なことである。

その朝礼の最後に、当番が前に出て、みんなで声を出して挨拶の練習をする。正直言って、最初は気恥ずかしさが先立って、勘弁してほしいと思った。

だが、ある日の当番の
「笑顔を作って電話に出ると、声の調子が変わる。つまり笑声になる」
という話を聞いて、ちょっと気持ちが変わった。

誰だって、いつもいつも機嫌良くいられるわけはない。でも、常に気持ちのよい応対を求められる現場では、自分の不機嫌を相手にぶつけるわけにはいかない。無理やりにでも笑顔を作って対応するしかない。そうした現場での経験から、彼女が生み出した知恵だと思った。

私自身は、人と接することは比較的少ない部署にいるが、その代わりメールでのやり取りはかなり多い。電話が嫌いということもあって、メールでのやり取りが増えがちということもある。

文字だけのやり取りは、事務的になるか、反対に感情的になるか、どちらかに偏りやすい。せめて笑顔の感じられる、「笑メール」を心がけたいと思う。(^^)


('03/11/09) ページトップへ


『ノラの日記』

『ノラの日記』 先日の狭山丘陵の観察会で、矢追さんから思いがけないプレゼントをいただいた。

『ノラの日記』 矢追義人著
(西田書店 ISBN4-88866-248-7 C0095)

そう、矢追さんご自身が書かれたネコ本である。
矢追さんとは、自然観察の集まりで、何度かご一緒したことがある。このサイトをご覧になって、私がネコ好きというのを知り、わざわざ観察会に持ってきてくださったのだ。著者自らのサインまで入れていただき、感謝感激。

本のタイトルの「ノラ」は、子猫のときに迷い込んできて、家族の一員となった猫の名前。そのノラのこと、近所の猫のこと、海外で出会った猫のことなどが書かれたこの本には、矢追さんの暖かい眼差しがあふれている。その眼差しは、観察会で感じるのと同じものだ。

そして不思議なことに、読んでいると、私の記憶の中の猫たちが、次々と引き出されてくる。

例えば、「ノラの引っ越し」
木造の家からマンションへの引越しで、すっかり脅えきってしまったノラ。 昼間は押入れの隅で眼を光らせているだけで、逆に夜にはうなり声を上げて駆け回る。その様子にたまらなくなった矢追さんは、覚悟を決めて、ノラを外に出してやる。一度は姿が見えなくなったものの、結局自ら戻ってきたノラ。

私は、子どものころ、引越しのために、何匹もの猫との出会いと別れを経験している。引越先に先に居ついていた猫、それから引越先にはつれていけず、知り合いに預けた猫。この知り合いに預けた猫は、すぐに元の家に戻ってしまうので、何度か連れ戻しに行ったものだ。もうすぐ取り壊すという元の家に行って、私が名前を呼ぶと、ニャアと出てくる。やっぱり私でないと、というちょっと得意げな気持ちがあった。その猫を抱いて、預け先の家へ。それでも、何度か繰り返すうちに、新しい家に居ついてしまった。

それから、「ノラの食生活」
ノラはスズメ捕りの名手で、つかまえると必ず家に持って帰ってくる。

私が中学生のころ飼っていた猫は、ドジョウ捕りの名手だった。そのころ住んでいた家のすぐそばに田んぼがあって、そこの用水路から捕まえてきては、廊下に置いて、得意そうにこちらを見ていた。

ノラと晩酌を楽しむ話、会議の休憩時間に外に出て出会った猫の話などなど、そうそうと自分の記憶を重ねる中で、一つだけ重ならないことがある。

それが「ノラ一代」。
病気になって下半身がマヒしてしまったノラ。お腹をマッサージして排便させたり、お風呂に入れて洗ってやったりと、一匹の猫の生涯に連れ添う矢追ご夫妻に、猫との断片的な付き合いしか知らない私は、とても心引かれた。

矢追さんはとても立派な学者さんで、「野生の血を色濃く残しながらも人間とうまく折り合いをつけているところが猫の猫たる魅力」と書かれているとおり、「猫っかわいがり」だけではない科学者らしい適度な距離感が感じられる。それも魅力の一つだ。

それよりも何よりも、猫のほうから視界に入ってくるという「猫目」をお持ちの矢追さん。私は勝手に、私と同じ「野良族」と思ってしまっている。


('03/10/11) ページトップへ


店長

自宅のすぐ近くにスーパーがある。でも、少し離れたスーパーまで行くことが多い。

第一の理由は、野菜の鮮度。近くのスーパーは、かなり安いが、鮮度が不満だった。毎日買い物ができるわけではないので、買うときは、なるべく新鮮なものを買いたい。地場の野菜を多く取り揃えていて、鮮度もいいことから、時間が許す限り、遠いほうのスーパーまで行くようになった。

それから店員の対応のよさ。初めのころ、たまたま同じ店員に続けてあたって、感じのよい店員だと思った。でも、別の店員でもそう変わりがないことに、すぐ気づいた。誰も、
 「〜からお預かりします」
 「レシートのお返しです」
なんて、はやりのレジ語は使わない。暖かいもの、冷たいもの、壊れやすいものなど、品物の扱いにさり気ない気配りが感じられる。

あるとき、精算を済ませ、品物の積み重なったカゴを運ぼうとしたとき、豆腐がカゴから床に落ちた。パックが破れて、中の豆腐が少し出てしまった。

店長と思われる男性が近づいてきて、「新しい商品をお持ちしますから、お待ちください」。素早く代わりの豆腐を持ってくると、恐縮する私に、「いえ、カゴへの入れ方が悪かったのですから、こちらのミスです」と言って、頭を下げた。

その店長(と勝手決め付けている)の、店員に対する言葉使いが、実にいい感じなのだ。
 「〜さん、〜お願いします」
 「〜さん、〜してください」
 「ありがとう」
 「ご苦労さま」

私が豆腐を落としたときと同じように、店内をスッスッと動きながら、店員におだやかな口調で声をかけていく。店内が混雑していても、彼の周りでは、空気もゆったりと流れているようだ。こういう店長のいる職場は、きっと働きやすいに違いない。

今では、この店長がいることも、遠いほうのスーパーに行く理由の1つになっている。彼の姿が見えないと、何だかもの足りない。(^^;)


('03/09/05) ページトップへ


ひとりしりとり?

台風の中、父親と映画を観に行った娘が、ボイスレコーダーを買ってもらって帰ってきた。それを使って、娘と私の声を録音して聞き比べてみた。

録音した声を聞くと、確かに似ている。 ふたりでしりとりをやってみた。 ひとりでしりとりをやっているように聞こえて、おかしい。 いや、正直に言うと、若干の(?)イントネーションの違いがあって、聞き分けられるのだが。 (^^;)

数年前から、電話での声がそっくり、とよく言われるようになった。今までその実感はなかったが、なるほどと思った。娘より息子のほうが、ものの感じ方や指向などから、私と似ていると思ってきた。 だが、身体的なことから、否応なしに受け継いでしまうものもあるなぁと、当たり前のことを今さらながら思った。


('03/08/10) ページトップへ


幸せ探し

公園の原っぱにしゃがみこんで、その人はあたりの草を手で探っていた。何か落し物でもしたのだろうか。私は、そのまま側を通り過ぎた。

公園内をしばらく散策して戻ってくると、またその人はさっきと同じように、何か探している。

ちょっと気になり、近づいて、彼女の手元を見た。あっと思った。節の目立つ手が触れているのは、クローバーの葉だけだった。

何十分もそうやっている彼女を見て、勝手に切ないような気持ちになった。


('03/07/27) ページトップへ


車内メール

人の流れに押されて、車内奥のちょっと身動きとれないところにはまってしまった。目の前には、ケータイの画面。
「来てくれるの? ウ・レ・シ・イ(ハートマーク)…」
まずい、と視線をずらそうとしたが、ぎっしり詰まった車内では、顔の向きを変えるのも思うようにいかない。
「もちろん!!!」と、せっせと打つ返信メールも見えてしまう。(^^;)

ほとんどチャット状態で続くメールのやりとりを、結果的にずっと覗き見することになってしまった。車内での化粧同様、混雑した中でのメールもかんべんしてほしい… そうだ! 目を閉じていればよかったんだと、電車を降りるときになって気がついた。(^^;)


('03/07/10) ページトップへ


谷中ネコもの巡り

ねんねこ家 久しぶりに何も予定のない土曜日。
思い立って娘と谷中にでかけました。
目的は、もちろんネコもの巡り。(^^ゞ 
千代田線根津駅で降りて、まず目指すは、三浦坂の「ねんねこ家」。
ここは、ネコもの好きにはとても危険なお店です。(笑) 魅力的なネコものが、店内ぎっしりという感じ。

Tシャツ 店の奥は、喫茶スペースになっていて、しばし従業員(猫)と和みました。(^^)
ここでは、娘のTシャツと、猫足クッキー、招き猫最中を購入。


ねんねこ家を出て、お昼にしようと、三崎坂の喫茶「乱歩゜」へ。
ネコものが店内のあちこちに飾ってあって、ネコ好きには居心地の良い喫茶店です。ジャズがいい感じに流れてました。

それから、もりわじん氏のユニークな招き猫を展示している「ギャラリーふくふく猫」へ。元気いっぱいシアワセがやってくる、そんな感じの招き猫であふれています。ここは見るだけで我慢。あ、絵葉書だけは、つい買ってしまいました。(^^;)

ギャラリー猫町 ふくふく猫を出て、千代紙の「いせ辰」にちょっと寄って、ギャラリー「猫町」へ。
ここは、春に百々猫堂・松本弘子さんの猫雛を見に来たところです。
11月に、また松本さんの展示会が予定されているようで、今から楽しみです。(^^)
ちょうど猫関係の本を格安で売っていたので、またアレコレ買ってしまいました。

その後は、日暮里に向かっててれてれ歩いて、久しぶりに朝倉彫塑館に寄りました。和と洋とをくっつけた不思議な建物。ここの「猫の間」にある作品も、猫好きには必見です。

…というわけで、地下鉄根津駅からJR線日暮里駅まで、ねんねこ家→乱歩゜→ふくふく猫→猫町→朝倉彫塑館 と、ネコもの巡りのシアワセなひと時を過ごしました。(^^)


('03/06/18) ページトップへ


ごほうび−その2

昼近くのスーパーでのこと。
連れだって買い物をしていた女性2人が、惣菜売り場の「本日の目玉! のり弁298円!」の貼り紙を見て、同時に「あら!」。 実は私も、彼女たちとほぼ同時にその貼り紙に目を留めていた。(^^;) のり弁とはいっても、野菜の天ぷらや煮物などがコマゴマ入っていて、なかなか美味しそうに見えた。

「ね、土手で」
「あら、いいじゃない」
「お弁当なんて、久しぶり!」
「お茶もね」

すぐに相談はまとまったようで、さっさと支払いを済ませると、両手にスーパーの袋をぶらさげて、嬉しそうに店を出ていった。
…「まーぜーてー」と言いたかった。


('03/06/04) ページトップへ


ごほうび

夕方のラッシュには少し間がある電車内でのこと。
向かいに座った男性が、缶チューハイをカバンから取り出すと、プシュッと開けた。そして両手で持って、ゆっくりゆっくり、実に美味しそうに飲んでいる。何だか、やっかいな仕事をようやく終えた安堵感のようなものを、彼から感じ取った。

いつもは、普通の電車での飲酒はやめてほしいと思っている。だが、その缶チューハイの紳士には、「お疲れ〜」と声をかけたくなった。


('03/05/29) ページトップへ


あのこは何処へ

公園の猫 03/02/08近所の公園の顔なじみの1匹。
カメラを向けると、すっとポーズを取るように立ち止まって、カメラ目線でこちらを見る。
だが、次々と咲き出す花に気をとられているうちに、見かけなくなっていた。

そう気がつくと、無性に会いたくなる。
この写真を撮ったのが、2月。それから何度か目にしているから…と記憶をたどってみる。


('03/05/14) ページトップへ


パンダやってみました

パンダの気ぐるみ 03/04/28遊園地などで見かける動物の着ぐるみ。まさか自分が着ることになるとは思ってもみなかった。

子どもが小さいころから所属しているグループ主催のお祭りでのこと。当日朝、会場に行ってみたら、オープニングの景気付けに、ウサギとパンダの着ぐるみを登場させるという。で、その役が回ってきた。お祭り当日しか手伝えないので、せめてもと、引き受けることにした。というか、未経験のことは何でも試したい、単なる好奇心からというのが正直なところ。(^^;)

とはいっても、かなり大きな頭のものをつけるのは、不安がある。比較的パンダのほうが外を見やすいというので、そっちにしてもらった。

どんな具合かと、予定時間より少し早めに着てみる。近くにいた息子のアドバイスを受けて、着ていたトレーナーは脱ぐ。まずは胴体部分。あ、背中のファスナーが自分で上げられない。上げてもらったところで、頭部。中のプラスチックのザルを被るようにして、ベルトを顎の下で留めて…。あ、自分で留められない。周りの人たちの助けを受け、ようやく着ることができた。

着終わったとたん、子どもたち&親たちが寄ってきた。
「パンダだ! パンダだ!」
「パンダさ〜ん、アクシュして〜」
「この子と一緒の写真撮らせて」
「あ、人間が入ってる! 知ってたけどさ」
「何者だぁ!」
オズオズと手を差し出す子、抱きついてくる子、お腹のあたりをそっと触る子、それからケリを入れてくる子…(ーー;)
口に手を突っ込むのはやめてほしい。そこは目なんだから。(^^;)
いやぁ、こんなに注目されることって、今までの人生であっただろうか。(^^)

頼んでおいた青年に引率され、何人かの子どもがひっついた状態でヨタヨタと会場まで行き、手を振ったり、お辞儀したり、バンザイしたり…テキトーに動いてオープニングは無事終了。

着替えたところに戻って、いざ脱ごうとしたが、次々と子どもたちが寄ってきて、なかなか脱ぐスキがない。裏のほうに行ってと思ったが、パンダの頭がひっかかって行けないので、ちょっと子どもたちが途切れたところで、エイヤッと脱ぐ。いや、やはりひとりではできず、脱がしてもらう。

とたんに、子どもが寄ってこなくなった。当たりまえだけど。
ちょっとした変身体験。ネットで検索したら、3万円弱でいろいろな動物の着ぐるみを売ってるのを見つけた。 (^^;)


('03/04/29) ページトップへ


職場としての軍隊

先日、友人とアメリカ映画「きみの帰る場所」の試写会に行った。
心に深く傷を負った生い立ち、そしてその傷を癒すためにたどる心の軌跡…主人公の優しい魂に心打たれる映画だった。だが、私はもうひとつ素直に観ることができなかった。

それは、主人公の恋人が語ったこんな言葉にひっかかりを感じたからだ。
「父は、海軍の制服姿の私を何より誇りに思っている。私もここが気に入っている」

主人公も、恋人も、そして主人公に深い影響を与える精神科医も、海軍に所属している。そのことだけで、今のアメリカを支持している映画のように思えて、抵抗感を覚えた。

映画のあと、そのことを友人に語った。友人は、「それだけ黒人の職場が限定されている、ということだと思う」と言った。確かに彼らは全員黒人だった。

軍隊が大きな雇用を生み出す場であるということは、あまり考えたことがなかった。しかし、イラクで捕虜になった黒人女性の陸軍炊事兵ショシャーナ・ジョンソンさんを見ても、アメリカで軍隊に入るということは、「就職する」のとそれほど違いがないのかもしれない。

社会・経済にしっかり食い込んでいる「軍隊」に、ため息が出た。


('03/04/03) ページトップへ


花を愛でる日々を

サクラ 03/03/213/21、反戦デモの集合場所に行くという娘に、私もくっついて行ってみた。
途中、プリンスホテルの敷地内に1本満開の桜を見つけ、思わず撮ってしまった。娘は、何もこんなときにという顔をした。

まだデモ開始には1時間以上あるというのに、集合場所には、もうかなりの人が集まってきていた。中学生ぐらいの男の子がひとり、胸にプラカードをつけて立っているのを見た。歌っているグループ、お弁当を広げている人たち、そのそばで本を読んでいる人…何かのお祭りのような光景にも見える。

ノーテンキに桜の写真を撮ったりしてて何だが、もっと緊迫感があってもという気がした。しかし、すぐに思い返した。この日常的な感じが大事なのではないだろうか。喜んだり、うぬぼれたり、面白がったり、悔しがったり、恨んだり…、でも「戦争は認めない」と。

「正義を守る」「平和を勝ちとる」という言葉の危うさ。矛盾。それよりも、花を見て美しいと思える日々があることを願う。


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数で扱われること

とうとう始まってしまった。もしかしたら、と淡い期待をもっていたのだが、残念無念。テレビに映し出されるバグダッドの街中に、人影は見えない。でも、これから「負傷者○人、死者○人」といった報道がきっとされるだろう。さらに、「NYテロのときは○人だった、それと比べて…」といったこともあるかもしれない。

何千人とか何倍とか何分の一とか...かけがえのない人を失う気持ちとは、あまりに隔たりのある扱いではないか。


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苔のむすまで

娘が、世界の国々の国歌を聴けるサイトを見つけ、いろいろと聴き比べをしている。側で聴いていて、同じような感じの曲が多いと思った。イケイケドンドンとまでいかなくても、気分を高揚させる曲調のものが多い。

それに比べて、「君が代」はかなり変わっていると思う。他の国のように、高揚した気分を誘う曲ではない。どちらかというと、鎮静効果のある曲調だ。歌詞からして「苔」なんかが使われていて、しっとり湿っぽい。

「君が代」の「君」は誰をさすのか、…いろいろ論議はあるが、今の世界情勢の中では、けっこうイケてる曲という気がする。

じっとして動かず騒がず。戦争への流れを淀ませ鎮静化する…「君が代」を掲げて、そんな働きをできないものだろうか。苔むすまで辛抱強く。


('03/03/11) ページトップへ


今年の花粉症対策

3年ほど前から花粉症の症状が出始め、昨年はかなりひどかった。コンタクトが入らず、しばらくメガネにしていた。通勤時はマスクが欠かせなかった。

今年は早めに耳鼻科に行こうと思いつつ、なかなかふんぎりがつかないでいた。それで、とりあえず花粉対策用サプリメントを試してみようと、ネットで注文。ファンケルの「アレル気サポート」と「DHA」のセット。90日分で9,180円(税別)。 1月の終わりから飲み始めた。

それが何となく効いているような気がする。

朝夕、それから日中もときどき鼻がグズグズし出しそうになる。目もうっすらむず痒い。いよいよかな、と思う。だが、それだけでおさまってしまう。

今のところ、マスクもしていない。コンタクトもOK。…やはりサプリメントが効いているのかもしれない。いや、このまま効いててほしい!


('03/03/06) ページトップへ


海外はもう圏外ではない?

海外用携帯電話の車内広告。
「海外は、もう圏外ではない」という広告文に添えられた絵に、ちょっとひっかかりを感じた。

「世界中どこでも圏内」ということを表現したいのだろう。アンテナマークの隣に、電波状態を表す縦棒のように各国を示すものが並んでいる。
左から順に、
 マサイ族(ケニア)
 サボテン(メキシコ)
 マーライオン(シンガポール)
 六榕寺(中国)
 ピサの斜塔(イタリア)
 自由の女神(アメリカ)
 エッフェル塔(フランス)
 モスクワテレビ塔(ロシア)
 CNタワー(カナダ)

なぜ「マサイ族」がここに並ぶのだろう。


('03/02/24) ページトップへ


2本立て1000円

昨年の秋から、ずいぶん映画を観ている。
きっかけは、夏に見逃した「月のひつじ」の看板を、目黒駅近くで見かけたこと。ちょうど仕事に区切りがついたときで、早速その映画館「目黒シネマ」に行ってみた。いわゆる「名画座」というもので、「海辺の家」と2本立て、1500円。ロードショーだと1本で1800円だから、かなり安い。

それに味をしめて、その映画館では、
「アメリ」
「アイ・アム・サム」
と続けて観た。

その後、池袋にも「文芸座」という名画座があるのが分かり、そこの会員になった。会員は1000円で観ることができる。こちらでは、
「ロード・オブ・ザ・リング」
「モンスターズ・インク」
「春の日はすぎゆく」
「ノー・マンズ・ランド」
…今年になってからは、
「あの子を探して」
「初恋のきた道」
「菊豆」
「上海ルージュ」
「ダスト」
「天国の口、終わりの楽園」
「アフガン・アルファベット」
「カンダハール」
「キシュ島の物語」
「少年と砂漠のカフェ」

ひとりで観たものもあるが、子どもたちを誘って一緒に行くことが多いので、結局かなりの出費になっている。(^^;)


('03/02/18) ページトップへ


やっと撮れた

ツグミ '03/02/10 自宅近くの公園で。
このところよくツグミを目にします。
いつもチョコチョコ歩き回っていて、なかなか思うように撮れません。
これは、何とか姿を捉えたものです。この前後に撮った写真には、ツグミの姿がありませんでした。(^^;)
ツグミ以外では、メジロ、コゲラ、ヒヨドリ…、最近シジュウカラを目にするようになりました。池には、マガモ、オナガガモ、ヒドリガモ、キンクロハジロ、ホシハジロ…などなど。
きっともっといろいろ見られるのでしょうが、私がわかるのは、これぐらいです。
あ、ハトやスズメ、カラスは、最初から数に入れてませんでしたね。(^^ゞ


('03/02/12) ページトップへ


春に向けて戦闘準備はいかに?

「冬肉」。
ぼんやりと電車の吊り広告を眺めていたら、この言葉が目を引いた。

若い女性向けの雑誌の広告。もちろん、ダイエット特集のキャッチコピーの文言である。そのものズバリ。分かりやすいと言えば、全くそうなのだが、何と言うか、ちょっと殺伐としていないか。確か、「かわいらしさ」を売りにしていた雑誌だったと思うが。
その他にも、「唇ヂカラ」「もてヘア」と、チカラの入った言葉が、あちこちに入っている。

うーん。 セーラームーンか何か、アニメのヒロインが、服を脱ぎ捨て、戦闘スタイル(?)に変身するところを連想してしまった。さて、戦闘準備を整えた彼女たちの向かう先は、どこ?


('03/02/07) ページトップへ


顔なじみ

顔なじみの黒猫 出かけるとき、時間に余裕があれば、駅近くの公園をぐるっと回ってから行くことにしている。
何度か歩いているうちに、いくつか顔なじみができた。この黒猫もそんな顔なじみの1匹。

先日出会ったときは、冷たい風がビュンビュン吹く日だった。吹きすさぶ風の中で、「寒いねー、ひもじいねー」と一緒にミーミー泣いて、いや鳴いてみた。
何だか彼(彼女?)に、こっちが慰められた気がした。


('03/02/03) ページトップへ


カミのワナ

その子の不機嫌さが気になった。
夕方、混み始めた電車に、4歳ぐらいの女の子が母親と兄らしい男の子と一緒に乗り込んできた。白いふわっとしたコート。丹念に編み込んで頭上でまとめられた髪には、ピンクのリボンが巻きつけられている。小さなプリンセスといった感じで、乗客の視線は、その女の子に集まった。

どこかに出かけた帰りらしい。女の子はとても不機嫌そうで、母親似のきれいな顔を歪めて、何かグズグズ言っている。
その側で、男の子が「○ちゃん、持ってあげるよ」と、女の子の荷物を代わりに持つ。さらに「もうすぐだからね」と励ましている。母親もいろいろ声をかけるが、でも、プリンセスのご機嫌は直らない。

女の子は、ときどき髪の生え際のところに手をやる。その様子を見て、不機嫌の原因は、この髪型にあるのではないかと思えた。きっちり結い上げた髪が地肌を引っ張っていて、たぶん痛むのだろう。それにコートは暖かそうに見えるが、雪もちらつこうかという寒い日に、コートから出ている細い足は、いかにも寒そうだ。

厚底靴、ロングマフラー、ピンヒール… これから彼女に仕掛けられる様々なワナが見えるような気がした。


('03/01/27) ページトップへ


迷宮の中から

霜柱

作業途中のファイル、ネットで見つけた面白い記事、試してみたいオンラインソフト…などなど、「迷宮」と名づけたハードディスクの一角に未整理のまま放り込んであります。(^^;)
そこで、こんな写真を見つけました。ちょうど1年前に撮った写真です。
畑にできた霜柱なんですけど、わかりますか?


('03/01/19) ページトップへ


ほうれん草の根っこ

ほうれん草をゆでる。根っこのところを食べてみる。そして、ちょっとがっかりする。いつものことである。

小学校の入学式の前日。私はべそをかきながら、ランドセルの留め金と格闘していた。不器用な私は、ランドセルの留め金のところのベルトを、うまく扱えないでいた。それが、入学式の前日になって母親の知れるところとなり、たぶん「自分でランドセルも扱えないようでは」と、開け閉めを練習することになったのだろう。

本当のところはどうだったかわからないが、ずいぶん長い時間に感じた。母は台所で夕食の支度を始めていた。まだ硬いベルトを手にして、ずっとこの情けない状態が続くように思えた心細さは、いまでも覚えている。

ようやく開け閉めができるようになって、それを伝えに台所に入っていくと、母はゆでたばかりのほうれん草の根っこを私の手のひらにのせてくれた。まだほんのり暖かかった。その甘さが記憶に残った。

おとなになってから、あのほうれん草の根っこの甘さに、なかなか出会えないことに気づいた。どうやらほうれん草の品種にも関係しているらしい。葉の切れ込みの深い「日本ほうれん草」という品種は、私の記憶している根っこの甘さと比較的近い。それでも、採れたてでないと、かなり味が違ってしまう。

今日、自家栽培の野菜を売っている人から、ほうれん草を買った。葉がギザギザしている。家に帰るなりゆでてみた。ゆでたての根っこは、あの記憶に残っている甘さに近いように思えて、ちょっとうれしくなった。


('03/01/18) ページトップへ


ピンクの似合う年頃

歯科医の診察室から出てきたその人を見て、あっいいなと思った。
黒いジャケットに黒っぽいズボン。ちょっと地肌が透けて見えそうな、白髪混じりの頭。ごく普通の初老の男性をステキに見せているのは、ジャケットから見えるポロシャツの色だった。ローズピンクというのだろうか、深めのピンク。それが、白い髪と黒っぽい服装にしっくり合っている。顔色も明るく見せているようだ。
もっと若かったら、濃いめのピンクは、きっとうるさい感じがしただろう。
誰の見立てだろうか。自分で選んだものだろうか。ちょっと気になった。

ピンクのシャツといえば、数年前に逝ってしまった友人のことを思い出す。
初めて出会ったとき、彼女は淡いピンクのトレーナーを着ていた。やはり白髪交じりの髪に、よく似合っていた。
世の不条理に対して、淡々と、しかし強い怒りを持って話す彼女に、とても魅かれた。何の飾りもないシンプルなトレーナー姿は、彼女の人柄を表して美しく、私の心に残っている。


('03/01/12) ページトップへ


春に向かって

三日月

出先から自宅に帰る途中、くっきりと細い三日月が出ているのを見ました。
写真右下の月、わかるでしょうか。実物は、もっと鋭い細さだったのですが...。

5時過ぎても、ほんのり明るさが残っている空に、春に向かって季節が動いているのを感じます。


('03/01/05) ページトップへ